文化・芸術

2017年4月 3日 (月)

第15回 名古屋片山能を観てきました!

2016年9月の「第14回 名古屋片山能」で、生まれて初めて能を観て、思っていたより面白く、お囃子も気に入って、その後も続けて観てきて、今回が8回目の能楽鑑賞になります。名古屋能楽堂は「バックステージツアー」も体験して、すっかり慣れました。

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今回も能が2本立て。「忠度」と「殺生石」です。

能楽の公演は、能だけでなく、狂言や舞囃子、仕舞なども演じられることが多いのですが、名古屋片山能は1時間ほどの曲を2本となっています。お目当はあくまで能ですし、あまり長時間になると疲れるので、この番組構成はありがたい。

もうひとつ、笛が藤田六郎兵衛、大鼓が河村眞之介なのも(わたしにとって)魅力です。ただ、今回イヤホンガイドを聞いていてわかったのですが、お囃子にはワキを呼び出すもの、シテを呼ぶもの、祈りを表すものとパターンがあるようです。演目によって全部異なるわけではないようです。そう思って聞くと「なるほど、そうかも」。

能「忠度」は「平家物語」の平忠度が主人公。武士なので修羅物かと思ったら幽霊になって出てくるので夢幻能? ワキである旅の僧が須磨の浦を通りかかり、1本の桜の木に惹かれます。そこへ現れた老人に一夜の宿を求めると「行き暮れて 木の下蔭を宿とせば 花や今宵の 主ならまし」と和歌で返したのでした。名古屋能楽堂南の桜も4分咲き。能舞台にその桜を1本持ってきたつもりで観ていました。そういえば舞台正面の鏡板は老松から若松に変わっています。

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さて、旅の僧が桜の木陰で眠っていると、夢の中に忠度の幽霊が現れ、自分の歌が「詠み人知らず」として千載集にあるので作者名を入れてほしい旨、藤原定家に伝えてくれるよう頼みます。後シテの忠度の衣装は美しく、勇ましくもどこか優美な舞いは、まさに夢のようでした。

能「殺生石」は小書きに「白頭」とあります。先月の名古屋宝生会での能「是界」も「白頭」でした。ワキである玄翁という高僧が登場します。旅の僧の衣装よりも豪華です。下野国、いまの栃木県を通りかかると、ある石のうえを飛ぶ鳥が落ちていきます。不思議に思っていると、女の声で「その石に触れてはいけません。触れると死んでしまいます」。


昔、鳥羽上皇の寵姫だった玉藻前(たまものまえ)が実は妖狐の化身であり、陰陽師に見破られ那須野の原まで逃げたけれど、ついには討たれて、そこにあった巨石に取り憑き殺生石となったのでした。玄翁が経をあげていると、石が割れて野干(やかん=狐)が飛び出してきます。過去の出来事を語り終えると、仏法に導かれて消えていったのでした。めでたし、めでたし。

こちらの後シテは白頭に金の衣装。ピカピカで妖しい。美しい衣装を間近で見ることができるのも、能の魅力のひとつです。あの世である「鏡の間」から「橋掛り」を通って、現世である「能舞台」に現れた者は、まさに「この世のものとは思えない」わけです。シンプルな能舞台を想像力で補って鑑賞すると楽しめます。

「殺生石」の最後で、地謡、小鼓、大鼓がピタッとタイミングがあって終わったのが素晴らしかった。こういう瞬間こそが能の醍醐味。思わず拍手しそうになったのですが、橋掛りを退場するタイミングで拍手するものらしいので遠慮しました。こういうときは歌舞伎のほうが自由ですね。

次回「第16回 名古屋片山能」は2017年9月10日(日) 14:00開演。能「葛城」と能「大会(だいえ)」です。

また、昨年伺った「内子座文楽」の案内が届きました。今年は2017年8月19日(土)〜20日(日)に「芦屋道満大内鏡」を上演するとのこと。ネットからチケット予約、購入できますが、桟敷席は注意してください。2階の東桟敷席は床の真上なので、太夫と三味線がまったく見えません。また、今回花道を使うかもしれないそうで、その場合は2階の西桟敷席もよく見えないかもしれません。初めての方は、目当ての座席で問題ないかどうか問い合わせてから決めることを強くお勧めします。

名古屋能楽堂の自由席の席選びはいつも迷います。最前列は舞台には近いのですが、目線が低いため、舞台の床がかろうじて見える程度。最後列のほうが、やや上から見下ろす形になって見やすいのです。遠くてよく見えない場合は双眼鏡を使えばいい。あとは角度によってシテ柱の影になる部分をどこに持ってくるかが問題。わたしはお囃子がちゃんと見える席を選びます。また、前後左右を囲まれた状態は息苦しいので端っこの席を選びます。指定席だと動けませんが、自由席なら避難できるので好都合。ですから「どの席がいいか」は一概にはいえません。なにを優先するかで決めましょう。

2017年3月21日 (火)

第61期 第2回 名古屋宝生会 定式能を観てきました!

名古屋宝生会の公演はちょっと高いので敬遠してたのですが、一度観てみることにしました。日曜の13時開演ですが、12時半から演目解説があるらしい。ということは12時に名古屋能楽堂に着けばいい。ということで自転車でやって来ました。

チケットは全席自由席で5,000円。コンビニで買うと発券手数料がかかるので、栄に出たついでにナディアパーク8階にある名古屋市文化振興事業団チケットガイドで購入しました。

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12時に開場されたものの、お客さんは少なめで、好きな席を選ぶことができます。のんびりしていて良い感じ。12時半に、舞台上に白頭と赤頭の実物が用意されて解説が始まります。舞囃子と仕舞は、能のダイジェストで、面と装束を着けないものだと初めて知りました。演目の内容だけでなく、能に関する知識が得られるのがありがたい。わかりやすく、ためになる解説でした。こういう地道な活動が能の普及に役立つはず。ふと見回すと開演直前には座席はだいぶ埋まっていました。

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解説が終わると、舞囃子の「花月」と「桜川」という親子再会の物語です。藤田六郎兵衛さんの笛が聴きたかったのが本公演を観ることにした理由のひとつ。河村裕一郎さんの大鼓は力強くてびっくり。一方、後藤嘉津幸さんの小鼓は優しい。革ではなく硬い木を打ち合わせたような鋭い響きの大鼓に、ポォンと柔らかい小鼓は、まさに硬軟の組み合わせ。短い演目でしたが、聴きごたえがありました。個人の芸がうまく噛み合う一瞬があって、その瞬間に立ち会いたくて能楽堂に足を運んでいるのです。

狂言の「附子」(ぶす)は面白かった。外出する主人は太郎冠者と次郎冠者に附子という毒に気をつけるようにといって預けて留守番を命じます。最初おっかなびっくりだった二人ですが、好奇心に負けて近づいて、蓋を取り、中身を見て、なめてみて「これは砂糖じゃ」。二人掛かりで美味そうに食べます。さて、主人が帰ってきたとき、どう言い訳するのやら…?

つづいて仕舞「経政」「歌占」のあと20分間の休憩。そして最後に能「是界」(ぜかい)です。

中国の天狗「是界坊」が日本に乗り込んでくるお話。まずは愛宕山の太郎坊を訪ねて作戦会議。日本の仏法を妨げるのであれば比叡山だろうということに。ただ不動明王が出てくるとやっかいだとの不安もあるようです。天狗の日中連合軍が攻めてきたということで、比叡山の僧が不動明王の加護を念じたところ、明王と十二天が現れ、天狗の力を削いだため、是界坊は地に落ち「二度とこんな国には来るもんかぁ」といって帰っていきましたとさ。めでたし、めでたし。

圧巻はやはり後シテの是界坊です。「白頭」という小書きがついているので、赤ではなく白い頭をつけて登場し(目に見えない)明王との戦いの末、橋掛りにガクッともたれかかるところなど、映画俳優みたいでかっこよかった。

次回は6月18日(日)に能「半蔀」「邯鄲」があります。いつも日曜開催なのがありがたい。「邯鄲」は『能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10) 』に現代語訳が載っているので予習しておきましょう。現代語訳をみると地謡もストーリーを支えているのに、実際にはなにを言っているのかさっぱりわからないのが残念です。イヤホンガイドも逐語訳するわけではないので参考になりません。

五木寛之の『親鸞 完結篇 』を読んでいると、釈尊の教えが文字ではなく、声で語り伝えられたことについて、親鸞いわく「その時、その場所、そこにいた人びと。そして釈尊の声があり、表情があり、気配がある。それは、ただ一度きりのものなのだ」。それはまさに能の舞台のようです。歌舞伎や文楽はある時期、毎日おなじ公演を繰り返すけれど、能は原則その日、その時の一度かぎり。しかも舞台監督がいないから、リハーサルもない。偶然が生み出す瞬間を待つのも能の楽しみのうちだと思います。

2017年3月11日 (土)

枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)

枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07)
枕草子/方丈記/徒然草 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集07) 』は、学校で習ったことはあっても全文を読み通したことがないので試しに手にとってみました。2016年10月に「岩瀬文庫」で見た枕草子の写本がまったく読めなくてショックを受け「それなら現代語訳で」と考えたのと、同シリーズの『平家物語』を読むことができたので、枕草子もなんとかなるのでないかと期待してのことです。

一条天皇の中宮定子に仕えた宮中で見たこと、聞いたこと、感じたことを軽妙なタッチで描き出す清少納言。「春はあけぼの」が「春は夜明けが好き」。胸がときめくもの、満ち足りるもの、気がかりなものはよいとして、いたたまれないもの、あきれはてるもの、憎らしいものをいくつも思い出して数え上げるというのはあまり楽しい作業とは思えません。馬は、牛は、猫は、滝は、川は、里は、草は、と書き連ね「歌集は万葉集、古今集」。宮中の様子や出来事を垣間見ることができるのも興味深い。宮中では鶯が鳴かないというのは本当でしょうか。

『方丈記』の現代語訳には驚きました。なにせタイトルが「モバイル・ハウス・ダイアリーズ」です。荒れ果てた京の町は物騒だからと、南の外れの日野にちいさなあばら家(掘っ建て小屋?)を建てて暮らしていたようです。地名、人名などの固有名詞がカタカナ表記になっていることもあって、方丈記だと知らずに読んだら、12世紀のSF小説かと思ってしまいます。30頁ほどの短い文章なので、高校生にタイトルを伏せて読んでもらい感想文を書かせたら面白そう。方丈記だと看破する人もいるでしょう。1180年の福原京への「首都移転」は『平家物語』にもありましたっけ。同じ出来事でも、見る人によって捉え方がちがうのがおもしろい。

『徒然草』が個人的にはいちばんおもしろかった。ひきこもりのボッチかと思ったら、宮中のことを知っているし、和歌や芸能にも通じてる。兼好というのは何者かと思ったら、父親が吉田神社の神職で、宮仕えもしていたけれど、その後出家したらしい。41段の「賀茂競馬」がいまでも行われているのはすごい。188段では「一事を必ずなさんと思うならば、他のことを破っても悔いてはならない」。202段では神無月には神様は伊勢に集まるとあるけれど、それって出雲じゃないのかな。226段では平家物語の作者は信濃前司行長とある。242段に「人間が求めるもの。第一に名声、第ニは色欲、第三は美味である」。1番目と2番目はわからないけれど3番目は同感です。

おかげさまで、ざっとではありますが、枕草子、方丈記、徒然草を読んで、どういうものなのかはわかりました。ふだん読んでいる時代小説とちがって、その時代を実際に生きている人が書いたものはひと味ちがいました。

お勧め度:★★★★★

2017年2月12日 (日)

平家物語をラジオで聴く

先日、池澤夏樹編集の日本文学全集『平家物語』を読んで、実際の琵琶での語りを聴いてみたいと思っていたのです。

日曜の朝、ふとラジオをつけたら、なんと琵琶で「祇園精舎」が始まりました。当然ながら、本を読むよりもずっと時間がかかりますが、それでも5分くらいだったでしょうか。琵琶を撥で弾きながら、独特の節回しで語ります。なるほどなぁ、琵琶法師がこんな感じで語るのを聴いていた人たちがいたんだ。

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以前、同じラジオ番組で、狂言が流れたことがあります。しばらく黙って聴いていたのですが、なにを言っているかわからず、パソコンで検索し、あらすじを把握してようやくついていくことができました。ふだん能舞台で見ているものを耳だけで聴くのは妙な感じです。

でも「聴く」ことは能、狂言、文楽、歌舞伎すべてに共通しています。狂言は「ござる」ことばと独特のイントネーションがあって、他とは異なることがよくわかります。

ラジオから邦楽が流れてきたら、以前は即座に選曲を変えていたのに、伝統芸能を観るようになってからは常磐津(三味線)も聴いてみるようになりました。

先月、SONYのAM/FMラジオを長男にプレゼントしてもらったのです。いまどきラジオ番組もネットで配信されていて、電波状況に左右されず快適に聴くことができるのに、なぜわざわざラジオ?

時間帯やアンテナの向きによって聞こえたり聞こえなかったり、かと思うと外国語の放送が聞こえたり、面白いじゃないですか。それになんでもかんでもネット頼みというのはイヤなのです。

本を「読む」のも好きですが「聴く」ことももうすこし意識してみようと思います。

2017年2月 9日 (木)

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)
平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09) 』は、わたしが初めて読破した「平家物語」です。同シリーズの「能・狂言」を読んだら面白かったので、能や文楽の出典となっている平家物語は読んでおきたかったのです。

京の治安維持や反乱の鎮圧など、武力を必要とした朝廷が、平清盛に介入、蹂躙され、ついには帝が幽閉されるまでに及び、頼朝、義仲ら源氏の巻き返しに遭って滅びる物語。900ページ近い大作です。

文中に出てきた人名、地名、寺社名などをパソコンで検索しつつ読み進めました。平家の家系図と御所の見取り図はいつでも見れるようにしておくことをお勧めします。

三の巻の「足摺」は、能「俊寛」の元ネタ。菊池寛、倉田百三も「俊寛」という小説を書いています。平家に対する反乱(鹿谷事件)に加わったとして流罪となった俊寛。清盛の娘・徳子(建礼門院)が高倉天皇の世継ぎ(安徳天皇)を生んだという慶事により、共に流された成経と康頼は赦免され都に戻ったのに俊寛だけ取り残され絶望して死んでしまうという、ただそれだけのストーリー。平家物語によると俊寛は名僧とはいえないようなのですが一体そういう人物だったのか、反乱謀議ではどのような立場だったのかがよくわかりません。

後日、俊寛に仕えていた有王が、俊寛の娘の手紙を携えて島を訪れるわけですが、芥川龍之介は「俊寛」で有王に「俊寛様の話くらい、世間に間違って伝えられた事は、まずほかにはありますまい」と言わせています。これがいちばん「ありそうな話」にわたしには思えます。

なぜ「俊寛」がこのようにあちこちで取り上げられるのか。仮にも僧都が、自分も御赦免船に乗せてくれと、恥も外聞もなく泣きわめくなどみっともないったらありゃしない。清盛亡きあとの宗盛や維盛も含めて「平家物語」は敗者、弱者を描きたかった、というか、その無常観が時代の空気だったのかもしれません。

それと、この時代には霊魂や幽霊が信じられていたというか、ほんとうに存在したような気がします。だから、能では成仏できない幽霊がたくさん登場するのでしょう。

敦盛の最期、那須与一の見事な弓、屋島の合戦後、義経が頼朝に追討される下りなど、有名なお話がたくさん出てきます。なにより安徳天皇が可哀想。読み方は人それぞれ。これまで「平家物語」に挫折してきた方も、この本なら読破も夢じゃない。

わたしが読破できた鍵は、図書館で借りたことにあります。2週間という返却期限付きだったのが奏功しました。購入していたら今も積んだままになっていたと思います。(苦笑)

お勧め度:★★★★★

2017年1月 8日 (日)

人形は口ほどにものを言い (赤川次郎)

赤川次郎の文楽入門―人形は口ほどにものを言い (小学館文庫)
赤川次郎の文楽入門―人形は口ほどにものを言い』は、自身を「文楽の素人ですが」とことわったうえで綴ったエッセイ集です。素人と言いつつ、わたしなどより多くの作品を観ていて参考になるお話もたくさんあります。それでいて、目線の高さが同じなので、文楽に対する意見には「なるほど」と思うものも多いです。

「時代物」より「世話物」が好きな筆者は「曽根崎心中」「妹背山婦女庭訓」「心中天網島」「近頃河原の達引」「菅原伝授手習鑑」などを引き合いに出してきます。自分も観たことがある演目なら「うん、そうそう」と頷けるのですが、観たことがないとチンプンカンプン。そういうものかと受け流すしかありません。ですから、本書はある程度文楽を観てきた方のための軽い読み物として好適だと思います。

文楽を知るのに歌舞伎が参考になることもあれば、能の影響を受けている部分もある。逆に、現代劇が古典芸能の流れを汲んでいることもあって、幅広い知識、見識があったほうが、より深くたのしむことができるわけです。

川本喜八郎の人形アニメ「鬼」「道成寺」「火宅」が紹介されていて、おもしろそうだったのでDVDを注文しました。届くのがたのしみです。

文楽「曽根崎心中」は一度観てみたい。歌舞伎は一度行ってみて面白いとは思ったけれどチケットが高すぎる。歌舞伎に1回行くなら文楽や能を2回観るほうがいい。ただ、最近わかってきたのですが、チケットの価格で観るべきかどうかを決めるのは危険です。たとえ高くても観るべきものがあります。それを見分ける眼というか価値観を養うのも大切ですね。

お勧め度:★★★☆☆

2017年1月 6日 (金)

能の物語 (白洲正子)

能の物語 (講談社文芸文庫)
能の物語 』は『白洲次郎 占領を背負った男 』の妻であるエッセイスト白洲正子の手になる本です。井筒、鵺、頼政、実盛、二人静、葵上、藤戸、熊野、俊寛、巴、敦盛、清経、忠度、大原御幸、舟弁慶、安宅、竹生島、阿漕、桜川、隅田川、道成寺の21編を読みやすく現代語訳してあります。

読んでみると、実際の能の雰囲気がよく現れています。それぞれ文庫本10ページ前後の短い物語なのですが、舞台では1時間を超えるのですから能のテンポがわかるというものです。

「お能は本来神様のものだ」というのは「翁」という曲に表れているといいます。正月に祝言として演じられることが多い「翁」にストーリーはなく、おめでたい祝福の言葉に終始する儀式のような曲です。しかし、おめでたい歌詞や舞だけでは満足しなくなった観客のために作られた能はすべて「翁」の変奏曲であるといいます。名古屋能楽堂の正月特別公演で観た「翁」は印象的でした。

お勧め度:★★★☆☆

2017年1月 4日 (水)

名古屋能楽堂 2017 正月特別公演を観てきました!

一度は観たいと思っていた「翁」です。古くからある能で、ストーリーはなく、おめでたいときに舞うものらしいです。いわゆる「神楽」です。翁の面(おもて)は舞台でつけるらしく、橋掛りから登場したのは、面箱持ち、翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)。続いて、お囃子方、地謡ら、ずらずらと行列になっています。しかも、烏帽子に直垂姿なので、なにやら宮中の祝いの席にいるような気になります。しかも囃子方は、笛と大鼓と小鼓トリオの5人組です。

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「翁」は三部構成で、最初は「千歳」の若々しく颯爽とした舞。次に、シテの翁が舞台で面をつけて謡いながらどっしり貫禄をもって舞います。渋いです。地謡を聞いていて思ったのですが、抑揚のない謡はお経に似てるんです。だから眠くなるのかもしれません。

翁はわりとあっさり面を外し、千歳と共に橋掛りから退場します。そして最後に登場するのが三番叟です。狂言師の鹿島俊裕さん。狂言方の足袋は黄色と決まっているのでしょうか。前半は直面、後半は黒い翁の面をつけて舞います。小鼓に合わせて鈴を振るのですが、腕ではなく手首のスナップを利かせています。ご本人はツイッターで「体力の衰えを感じた」と書いていますが、そんなふうには見えませんでした。よかったです!

三番叟はお囃子も盛り上がります。後半、河村眞之介さんの大鼓が入ったのですけど、カンっと突き刺さるような音が胸に響きます。小鼓トリオも音の厚みが出て迫力がありました。

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「翁」に続いては狂言「鬼瓦」です。訴訟のために都にながく滞在していた大名が、勝訴した御礼にと、太郎冠者と共に、日頃から信仰している因幡堂(平等寺)の薬師如来に参ります。ふたりして御堂を眺めていると屋根の鬼瓦が目につきます。そして大名は厳しい顔の妻を思い出し「落涙」してしまいます。太郎冠者は「なにも泣くことはありません。帰ればすべて解決です」と、ふたりして声を合わせ「わっはっはっは」と笑い飛ばしておしまい。山崎まさよしの『お家に帰ろう』が脳内で流れます。

15分間の休憩を挟んで、最後が能「楊貴妃」です。唐の玄宗皇帝は楊貴妃を亡くなって嘆き悲しみ、霊の世界と行き来することができる「方仕」に、楊貴妃の魂魄を探すよう命じました。

最初に背の高い、宮の作り物が運び込まれ、囃子方の正面に据えられますが、布が掛けられており中は見えません。しかし、その大きさからみて「あの中に楊貴妃が」と思わせます。方仕が話しかけると、後見ふたりが宮の両脇から被せてあった布を外して下げていきます。しかし、宮の天井から御簾が下がっていて楊貴妃はよく見えません。じれったいけれど、憎い演出です。

方仕が「あなた様にお会いした証拠の品を賜りたく存じます」というと、楊貴妃は簪を渡しますが「このような品は他所でも手に入ります。あなた様が皇帝陛下と交わしたお言葉を教えてください」と頼みます。それが「天にあらば願わくは比翼の鳥とならん、地にあらば願わくは連理の枝とならん」というものでした。

簪って「実体のない幽霊が何故そんなものを渡すことができるんだろう」と思ったのですが、そこは死後の世界なので楊貴妃は幽霊ではないのです。なるほど、これは現世に思いを残した幽霊が旅の僧に弔いを求めるという「夢幻能」ではなく、かといって「現実能」ともいえない。不思議な能です。

その後、楊貴妃は先ほどの簪をつけ、方仕のまえで舞を舞います。静かな舞ですが、儚く美しい。能面をはじめて美しいと感じました。無表情な面に感情を与えるのが演者の力なのですね。

お正月から良いものを観せていただきました。ありがとうございました。

2016年12月31日 (土)

文楽、能楽、歌舞伎ー古典芸能入門 2016 総集編

三浦しをんの小説『仏果を得ず 』を読んで以来、文楽(人形浄瑠璃)に興味を持ち「機会があったら文楽を観てみたい」と思いつつ時間が経ってしまいました。それが2016年の春、京都に遊びに行った日に偶然文楽の公演があり「チャンス到来」とばかり京都府立芸術文化会館に飛び込んだのでした。

▼ 2016/3/21 京都(京都府立芸術文化会館)
絵本太功記(夕顔棚の段、尼ヶ崎の段)
日高川入相花王(渡し場の段)
15:00-17:30
▼ 2016/4/10 大阪(国立文楽劇場)
妹背山婦女庭訓(二段目 鹿殺しの段、掛乞の段、万歳の段、芝六忠義の段 四段目 杉酒屋の段、道行恋苧環、鱶七上使の段、姫戻りの段、金殿の段)
16:00-21:30
▼ 2016/5/29 名古屋(中日劇場)
壺坂観音霊験記(沢一内の段、山の段)
本朝廿四孝(十種香の段、奥庭狐火の段)
16:00-19:00
▼ 2016/8/21(日) 内子町(内子座)
仮名手本忠臣蔵(五段目 山崎街道出合いの段・二つ玉の段/六段目 身売りの段・早野勘平腹切の段)
14:00-16:40
◉ 2016/9/11(日) 名古屋能楽堂
第14回 名古屋片山能「小督」「融」
14:00-
◎ 2016/10/5(Wed) 名古屋(日本特殊陶業市民会館ビレッジホール)
錦秋名古屋 顔見世(歌舞伎)菅原伝授手習鑑(寺子屋)、英執着獅子、品川心中
16:00-19:35
▼ 2016/10/7(金) 名古屋(名古屋市芸術文化センター)
近頃河原の逢引(四条河原の段、堀川猿廻しの段)
18:30-20:40
◉ 2016/10/21(金) 名古屋能楽堂
十月定例公演 能:通小町 狂言:鬼継子
18:30-20:15
◉ 2016/10/29(土) 西尾市文化会館 大ホール
西尾城址薪能 能「舎利」狂言「成上り」
14:00-
◉ 2016/11/3(木) 名古屋能楽堂
やっとかめ文化祭 能:草薙 狂言:昆布売
14:00-
◉ 2016/12/4(日) 名古屋能楽堂 
12月特別公演 能:富士太鼓、項羽 狂言:釣針 舞囃子:井筒、芦刈
12:30-16:05

以上、▼文楽が5回、◉能楽も5回、◎歌舞伎が1回の合計11回。がんばりました!

今年は生まれて初めてだったので「機会があればどんどん観てやろう」という方針でしたが、来年以降は、観たい演目や演者を選ぶつもりです。今年いちばん印象に残っているのは名古屋片山能の「小督」と「融」です。いずれも舞が素晴らしかった。

歌舞伎は華やかで人間くさいところが面白いけれど、入場料が高いのが玉に瑕。逆に文楽は人形だからこそ残酷な場面でもさらりと流せるところがすごい。だけど、長時間座り続けるとお尻がつらい。その点、能は上演時間が短めでチケット代も手頃で(映画よりは高いけど)、狂言が入れば気分も変わります。歌舞伎、文楽、能楽の中ではいちばんマイナーなのもいい。

能には、祖母が好きだった木目込み人形が1/1スケールで動いているような様式美があります。お囃子も含めて演者の技と技がぶつかりあう偶然が奇跡を生み出す(かもしれない)可能性。琴線に触れる煌きの目撃者になりたいし、演出家不在の舞台劇のことをもうちょっと知りたい。

歌舞伎に比べて文楽と能楽は敷居が高いでしょう。でも、すこしでも興味があるのなら「むずかしい」とか「退屈」といった思い込みを捨てて、一度観てみるだけでいい。なにもむずかしいことはありません。初めて能を観て、わたしが感激したのは笛と大鼓でした。

「最近、能にハマってるんです」と話したときの相手の顔といったら。その顔を見るためだけにでも能を観に行く値打ちはあります。(笑)

2016年12月21日 (水)

名古屋能楽堂バックステージツアー:能舞台に立つ

名古屋能楽堂には「舞台公開日」というのがあるのですが、行ってみたら客席から舞台を見るだけ。それではいつも見ているのと同じです。がっかりしていたら「バックステージツアー」なる企画(事前申込制、有料300円)があるとのこと。そこでは楽屋や鏡の間、橋掛りから舞台と、能楽堂の裏側を見て回ることができるのです。鏡の間から先へは白足袋を履いていなければ立ち入ることができません。

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受付を済ませると、上のような資料とスリッパを渡されます。客席に座って白足袋に履き替えるのです。まずはそこで能楽堂の構造などについて説明を受けます。定員40名なので2グループに分けてバックステージを見学します。参加者の8割は女性でした。

まずは楽屋です。旅館の大広間みたいですが、一部屋ずつ「囃子方」「狂言方」「ワキ方」「シテ方」そして「装束の間」に分かれています。いちばん手前の「囃子方」の隣には大鼓の乾燥室があり、そこで炭を燃やすようになっています。一方、小鼓は適度な湿気が必要だとか。むずかしいですね。

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いちばん奥には「作り物の間」があり、作り物の材料が保管してあります。ピンクのカバーがかけてあるのが「道成寺」で使う釣り鐘です。高さ180cmくらいあって重さも50〜60kgあるとか。舞台の天井にはこれを吊り下げるための滑車がついています。

ただ、骨組みしかなくて、公演ごとにこれに布を貼って仕上げるそうです。公演は基本的に1回限りだから、その都度作り物を用意するのは無駄な気がしますが、流派によってもちがいが出るので仕方ないのか、伝統が合理性を覆い隠しているのか。

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実際に能面をつけて廊下を歩いてみましたが、能面は自分が見やすいようにつけるのではなく、見た目が美しいように付けるのだとか。顎が1cmほど見えるように付けるように言われてやってみたのですが、両手を前に伸ばして人差し指と親指で円をつくったくらいの視界です。舞台では足元を見ようと下を向くわけにいかないから大変です。

さて、装束の間で着付けをしたら、廊下の向こうの「鏡の間」に入り、鏡のまえで面をつけます。

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そして、揚げ幕の両端の竹をふたりで息を合わせて立てることで幕が上がります。

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揚げ幕を潜って橋掛かりを渡ります。あの世からこの世へ渡っていくわけです。床板は縦に貼ってあります。試しに踵を上げないようにすり足で歩いてみたけれど意外と難しい。速くは歩けません。

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橋掛かりと本舞台の床板は縦ですが、その間の後座は横に貼ってあるので、面で視界が限られていても、足裏の感覚でどこにいるかがある程度感じ取れるそうです。でも、床面は平らで、それほどはっきりとはわかりません。それだけ神経を研ぎすませているということなのでしょう。

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本舞台です。天井の照明がかなり眩しい。床下は空洞で、コンクリートで音が響きすぎないように吸音材が置いてあるとか。昔の能舞台は瓶を置いて共鳴させていたのとは対照的。踵でドンっと床を踏むと、いい感じに響きます。地謡座あたりに正座したら、床は温かみがあって気持ちよかった。ただ、わたしは10分以上の正座は無理。よく見ると床には細かい傷がたくさんあります。

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老松を描いてある鏡板の裏側です。ここから床下を覗くことができますが、真っ暗でなにも見えませんでした。来年は老松を若松に替えるそうです。(若松は常設展示中)

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たいへん興味深いバックステージツアーでした。そう、これなんです。表側ではなく裏側が見たかった。これで一層「能楽」が身近に感じられるようになりました。ありがとうございました。

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