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2018年5月21日 (月)

名古屋能楽堂 2018年5月定例公演鑑賞記(能:田村、大江山 狂言:朝比奈)

久しぶりの名古屋能楽堂です。今回は贔屓にしている囃子方(笛の藤田六郎兵衛、大鼓の河村眞之介)が能には出ないので気乗りがしなかったのですが、矢野隆の『鬼神』という小説を読んだときに「これはぜひ能で見たい」と思ったら、それが今回の演目のひとつ「大江山」だったのです。だから、見ないわけにはいきません。

わたしはまだまだ能楽初心者ですが、楽しみ方がわがままになっていまして、自分の興味のあるところしか見ないのです。逆にいえば、一部でも気に入れば満足するという、非常に偏った見方、楽しみ方をしております。そのあたりをご理解のうえ、お読みいただければ幸いです。

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今年から公演ごとにテーマがつけられているようです。5月は「能の男 狂言の男」。「男」には「ヒーロー」とルビが振ってあります。これまでは、なぜその曲を選んだのかわからなかったから、こういう見せ方は面白い。すばらしい。最近では美術館や博物館も切り口を変えてきています。能楽堂だって変わる必要があります。

さて、能「田村」は坂上田村丸(田村麻呂)、狂言「朝比奈」、能「大江山」は源頼光が「ヒーロー」なわけです。彼らはどんな活躍を見せてくれるでしょうか。

最初に仕舞があるのですが退屈です。生まれて初めて見た能(第14回 名古屋片山能)の印象が強烈で「小督」の男舞は勇壮で「融」の舞も素敵だった。それに比べるとほとんどの仕舞はお稽古事の発表会に見えてしまうのです。(ゴメンナサイ)

舞囃子も舞はそっちのけでお囃子だけ見てしまいます。今回の「自然居士」では大鼓が河村眞之介だったので、じっくり拝見(拝聴)しましたが、今日はキレがいまいちだったような。小鼓は未だ贔屓がいないのですが、船戸昭弘はやさしい小鼓を打ちますね。好印象です。囃子方はゼッタイ男前がいい!

能「田村」です。

京都の清水寺を最初に建立したのは坂上田村丸(田村麻呂)だったのですね。旅の僧がふたり登場したあと「少年が右手に箒をもってやってきます」って「わ!」。関取のような巨体の少年です。面と装束をつければ役になりきり、観客もそう受け取るのがお約束だとしても、わたしは抵抗があります。たとえば姫の役は女性に演じてほしい。

田村丸は征夷大将軍として、帝から鈴鹿山の鬼を討つよう命じられます。「戦いの最中、千手観音が現れ、空を舞い、弓と矢を持ち、同時に千の矢を放ち、鬼を打ち払った」らしいのですが、片手で弓を持ち、もう片手で矢をつがえるわけですから、1本の矢を射るには2本の手が必要です。だったら千手観音でも一度に500本しか射ることができないはず。千本の矢を同時に射るには、弓を使わず、手で投げるしかありません。と、例によってツッコミどころ満載です。

これもイヤホンガイドで適宜解説してもらえるからわかること。いままで「録音にしてはタイミングがばっちり合ってるな」と思ったら、生放送だとか。つまり、能の公演同様、一回限りのパフォーマンスなのです。終演後「能楽質問会」というのがあって、わからないことを解説者に質問することもできます。いろいろがんばってますね、名古屋能楽堂も。えらい!

以前から「定例公演事前学習講座」があって、能楽堂の会議室で1時間半、そのときの演目について解説してもらえるそうですが、それが公演の半月ほどまえの土曜日だったりするので、わたしは行けません。1回の公演のために能楽堂に2回足を運ぶのは無理。公演当日にしてもらえれば参加したい。

続いて、狂言「朝比奈」です。

狂言というと、舞台にふたりだけ出てきて漫才を演じるものと思っていたのですが、囃子方も地謡も登場するからなにかがちがう。閻魔大王は狂言方でも朝比奈は能楽者。能と狂言では言葉遣いも発声も異なり、狂言のセリフは大体わかるけれど、能と謡はほとんどわかりません。朝比奈のセリフは意味不明。外国語を聞いているようなもの。それでも狂言にはイヤホンガイドがつかないので困りました。イヤホンガイドが鑑賞を助ける目的であれば、解説者の先生が待機していて可能であるならば「狂言はイヤホンガイドなし」と決めつけずに、朝比奈のセリフだけでも解説してほしい。

閻魔大王が朝比奈にやり込められるという筋書きは狂言でしょうけれど、これは能に閻魔大王が飛び入り参加したものではないでしょうか?

最後が「大江山」です。

酒呑童子という鬼を討つよう命じられた源頼光は四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)らと共に山伏に変装して鬼の塒に一夜の宿を求めます。酒盛りが始まり、酒呑童子は「ここに俺がいることは誰にも言わないでくれ」と頼むと寝てしまいます。そこへ武士の姿に戻った頼光らが奇襲をかけ、最後には首を取ってしまうのです。鬼は人を喰うといいますから放置することはできないのですが、それにしても相手は獣ではなく言葉が通じる生き物。だまし討ちするのは後味が悪い。あまりにも単純化された能「大江山」に対して、小説『鬼神』では酒呑童子は鬼ではなく人だったとして、討つべきかどうかの葛藤を描いています。後者のほうが人間的だと感じるのはわたしだけでしょうか。

酒呑童子の首は京都市西京区にある首塚大明神に祀られています。

午後2時から6時まで(10分休憩2回を含め)4時間たっぷり楽しませていただきました。ありがとうございました。次回は、7月1日(日)の「名古屋能楽堂 7月定例公演」(能「頼政」狂言「通園」)に伺います。

★ 能に興味のある方へ

当日でも自由席券は残っているはず(売り切れたと聞いたことがない)なので名古屋能楽堂に足を運んでみてください。事務所でチケットを販売しています。名古屋城の本丸御殿とか金シャチ横丁に立ち寄ったついででも構いません。ネットで調べても能の公演予定や演目の雰囲気はわかりづらいので、能楽堂ロビーにたくさん置いてあるチラシをごらんください。名古屋、豊田、京都、東京などの公演予定がわかります。

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スマホよりチラシのほうが絶対わかりやすい。映画のチケットよりは高いので、持ち帰ってじっくり見て選びましょう。

5/22の「談山能」に行きたかったけれど火曜日は無理。笛と大鼓が贔屓筋で、小鼓が大倉源次郎。うーん、悔しい。聴きたかった(見たかった)なぁ。

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