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2016年11月 3日 (木)

夏目漱石『草枕』と能楽

草枕・二百十日 (角川文庫)

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

まったく同感であります。

異界を旅する能 ワキという存在』で、夏目漱石が能を学んでいたと知って『草枕』を読み直してみたところ、たしかに能に触れている部分があります。

どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。

「芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をする」とは、上手いことを言います。明治時代から見ても、あれは「悠長な振舞」なのですね。漱石と能の関わりについて、もうすこし知りたくて、鶴舞図書館で『近代文学と能楽』 (松田 存)を借りてきました。この本は、漱石以外にも坪内逍遥、北村透谷、正岡子規、泉鏡花、芥川龍之介、谷崎潤一郎、堀辰雄らと能の関わりについて書かれています。

漱石の日記を調べたところ、謡の稽古をしたのが30曲あると書いてありました。

綾鼓、雨月、大原御幸、杜若、花月、砧、清経、黒塚、桜川、実盛、俊寛、隅田川、蝉丸、千手、草紙洗、調伏曾我、土車、鉢木、花筐、雲雀山、富士太鼓、藤戸、舟弁慶、三井寺、通盛、三山、望月、盛久、湯谷、頼政

これらには共通して「エゴイズムに端を発して苦しむ人間の種々相が描かれている」といいます。それが漱石の作品にも反映されていると。

それにしても『草枕』の主人公は、画家として浮世を離れた旅に出るのですが、海外の文学にも詳しく、能の謡、俳句を含めた詩歌、漢詩も嗜めば、書にもそこそこ通じている、超インテリです。これがそのまま漱石です。

この不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。

上記の文章は、たとえば英文を読む際に辞書を引くのと同程度に国語辞典を必要とします。iPhoneで青空文庫を読んでいれば、単語を選択して「辞書」をタップすれば意味が表示されるはずなのですが、必ずしも載っていません。

やや脱線しますが、わたしが好きな小説『神様のカルテ』の主人公・栗原一止の愛読書が『草枕』なのです。全文暗唱できるほどで、漱石好きが高じて口調もやや古めかしいという設定。彼も個人的には「非人情」でありたいと望みながら、医師として患者に「情」をかけてしまい、その命を救えなかったときに深く傷つくのです。小説の舞台になった松本を思い出します。

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」ということですね。同感です。

お勧め度:★★★★★

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