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2016年11月

2016年11月30日 (水)

薄妃の恋ー僕僕先生 2 (仁木英之)

薄妃の恋―僕僕先生 (新潮文庫)
薄妃の恋―僕僕先生』はシリーズ第2弾。王弁は薬師として勤めながら、帰りを待ちわびていた僕僕が5年ぶりに戻ってきたところで前巻は終わり、今作はその続きです。

・王弁、料理勝負に出る
・雷神の子、友を得る
・王弁、熱愛現場を目撃する
・王弁、女神の厠で妙薬を探す
・僕僕、異界の剣を仇討ちに貸し出す
・僕僕、歌姫にはまる

料理の才などない王弁が料理勝負に出ることになったり、雨乞いしたら雨が止まなくなって困ったり、所構わずイチャイチャしている男が実は死にかけていたり、拠比の剣が出てきたり、街中の人間が夢中になる歌姫が登場したり、今回ものんきでにぎやかな旅です。表紙絵のペラペラの美女が3話で登場し、その後、旅の道連れとなります。

師弟以上、恋人未満。相変わらず王弁は僕僕に恋い焦がれつつも、懊悩する心を読まれては僕僕にからかわれています。僕僕に近づくには仙人の技を覚えたいけれど、雲に乗ったり壁をすり抜けたりは容易ではありません。僕僕はふだん少女の姿をとっていますが、それが真の姿かどうかわかりません。仙人なのですから、よぼよぼの老人かもしれない。「もし老人だったらどうする?」と僕僕は意地悪な質問をします。老若男女であれば、まだ人間ですからよいのですが、獣、妖だったりしたらたいへんです。不安に思っていると僕僕に心を読まれて「なにを考えているんだ」と釣竿で叩かれるわけです。

へたれロリコンが仙人に試され、鍛えられ、おもちゃにされながら成長していく物語。なのでしょう、たぶん。他の登場人物や妖たちもどこか人間臭くて面白い。呑んだくれてやさぐれてる女神なんてちょっと可愛いかも。しかし、それをたしなめるのは命がけ?

あとがきが夏川草介なのでびっくり。わたしが好きな『神様のカルテ』の作者です。仁木英之とは面識はないものの大阪出身、信州大学出身、カレー屋つながりだとか。今度松本を訪れたら、その信州大近くのカレー屋さんにも行ってみます。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月28日 (月)

僕僕先生 (仁木英之)

僕僕先生 (新潮文庫)
僕僕先生 』は、元エリート官僚の父親の財産があるのにどうして働かないといけない? というニート青年・王弁が黄土山に出かけたときに出会ったのは僕僕と名乗る美少女だった、という物語。

その僕僕は仙人で、無限の命を持ち、雲に乗り千里を翔ぶことができる。一方、王弁は仙骨は持たないけれど仙縁を持つため、僕僕のそば近くにいることを許され、共に旅に出ます。王弁は次第に僕僕に惹かれ「働いたら負け」という信念を曲げ「弟子として術を教えてほしい」と請います。

新シリーズ『僕僕先生 零 』で僕僕は料理仙人なのですが、こちらでは医師というか薬師のようです。だから王弁も薬師として鍛えられます。最後のクライマックスのあと、僕僕は天界に呼び戻され、王弁のもとを去っていきます。

仙人らしい気まぐれと、とんでもない力を持つ、可愛らしい少女。だけど、酒は飲むし、口は悪いし、意地悪ばっかり言う。それでも王弁を邪険にすることはない。ビミョーな距離感を保ったまま踏み込むことができないでいる王弁にいらいらしつつも、気持ちはわからないでもない。そんな爆弾少女はどんなに見目麗しくてもご機嫌を損じるとキケン。まさに命がけの恋であります。

この一冊でちゃんと完結しているのですが、シリーズ化して続編が現在10巻まで出ています。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月26日 (土)

僕僕先生 零 (仁木英之)

僕僕先生 零 (新潮文庫nex)
僕僕先生 零 』は、オリジナル「僕僕先生」シリーズとは別に、新たに書き下ろされた新シリーズ。従来は新潮文庫だったのが新潮文庫nexから出版され、表紙もラノベ風の可愛らしいキャラになった。わたしもこちらのほうが僕僕のキャラに合っていると思います。

オリジナルシリーズを知らずに、表紙に惹かれてこちらを手にとったもので「僕僕先生」のことがまだよくわかっていません。「零」ということはエピソード零。即ち前日譚なのでしょうか。

中国の故事が下敷きになっているようで、老君が「一」(いち? はじめ?)を天地の礎として置き、それが細胞分裂していくわけですが、老君の下に三聖がいます。

1. 天地を栄えさせる存在の創造する「炎帝」
2. 天地の秩序を司る「黄帝」
3. 創造された生き物を殖やす「西王母」

炎帝によって創造された料理神仙が僕僕であり、火と水を操る妖の獯獯(くんくん)と洵洵(じゅんじゅん)。

「零」シリーズにおける僕僕の相棒は、水を司る神「拠比」。これがいまいち頼りない。そういう意味では「僕僕先生」シリーズの王弁同様の位置づけですね。本来、神である拠比は不老不死で、食事は不要なのですが、人の姿をとっているとなぜか腹が減り、なにも食べないと動けなくなってしまう。そこで仕方なく僕僕に食べさせてもらうわけですが…。

神仙とはいえ僕僕はとくに術の力を持たないのですが、自分の料理を「おいしい」と言ってもらえると、それが力になるという、可愛らしい仙人です。「一」の欠片集めの旅がはじまります。

お勧め度:★★★★★

2016年11月24日 (木)

夜行 (森見登美彦)

夜行
夜行 』は森見登美彦の新作。京都を舞台にした小説が多いのでお気に入りの作家です。

10年前、英会話スクール仲間6人で鞍馬の火祭を見物に出かけ、仲間のひとり長谷川さんが姿を消したのでした。そして、今日5人が京都に集まったのです。物語の鍵となるのが、岸田道生の銅版画「夜行」48作の連作。幹事の大橋くんを除く4人(中井、武田、藤村、田辺)が各々、不思議体験を話す形式で物語の1〜4章まで進んでいきます。

1. 尾道
2. 奥飛騨
3. 津軽
4. 天竜峡
5. 鞍馬

最後に、現在に戻って大橋くんが鞍馬でのことを語るのですが、なにかがおかしい…。

冒頭からミステリーの匂いがぷんぷんします。いるはずの人がいなかったり、いないはずの人がいたり、夏の夜の怪談みたい。「夜行」は夜行列車かもしれないし、百鬼夜行かもしれません。「世界はいつも夜なのよ」って、たしかに宇宙は闇かもしれません。

尾道の千光寺というのをGoogle Mapで調べると実在します。「線路沿いに商店街があるというから海沿いだよな」。千光寺って丘の上にあって、海に向かって階段だらけ。写真を見ると、海のむこうに向島があるから海が川みたいに見える。行ってみたいな。というように、地図で観光気分を味わうのも楽しい。京都も同様に、相国寺の北に御霊神社があって、そこから東へいくと出雲路橋がある。その手前の鴨川沿いに「岸田サロン」があったのか。今度京都に行ったら足を運んでみようと思います。

「天竜峡」まで読んできて、これは一体どうやってオチをつけるのだろう、と心配だったのですが、予想外に(失礼)きれいにオチがついてびっくり。森見登美彦も上手くなりました。

「有頂天家族」シリーズの続編を待ってます。>作者

お勧め度:★★★★★

2016年11月22日 (火)

沈黙の書 (乾石智子)

沈黙の書
沈黙の書 』は「オーリエラントの魔道師」シリーズ第5弾。

主人公は風森村の「風の息子」ヴェリル。その弟が「山をまたぐウサギ」だったり「雨の娘」「三日月の望み」「賢い岩」「明日に飛ぶカラス」「速い赤い熊」というように、太古の、文明が芽生えるまえの世界のようだと思ったら、物語は「コンスル帝国建国前 627年」から始まります。いわゆる「紀元前」ですね。本シリーズの「エピソード 0」にあたるようです。

ある日、白狐が現れ、鍬、織機、斧、カラン麦の穂、弓矢、巻物、探検など、様々なものを口から出します。「雨の娘」は馬の人形を「三日月の望み」はカラン麦の穂を「風の息子」は迷った末に巻物を選んだのでした。風森村には魔法の力をもつ者が多く、周辺の町は彼らを戦に利用しようと企み、彼らも巻き込まれていくのでした。

「沈黙の書」は言葉ではなく絵で運命を示します。持ち主がその運命から逃れようと努力するならば、それは「希望の書」になるでしょう。今作も従来の作品同様、この世が闇に包まれ、悪魔のささやきに心が揺らぎながらも、かすかな希望の光を求めて、前に進もうとする魔道師の姿を描きます。あまりに絶望的な、悲惨な状況に、読んでいるこちらの心が折れそうになります。「死んだほうがマシ」というのはこういうことじゃないかと思うくらい。だから、あまり感情移入しないほうがいい。

ここまでシリーズ5冊を続けて読んだら(面白いのだけれど)心が磨り減りました。希望はあるといっても来世のことなんて考えられない。憔悴するので心が元気なときに読みましょう。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月21日 (月)

太陽の石 (乾石智子)

太陽の石 (創元推理文庫)
太陽の石』は「オーリエラントの魔道師」シリーズ第3弾。2作目「魔道師の月」から数百年の時が流れ、衰亡したコンスル帝国の片田舎に住むデイスは、ゴルツ山で「太陽の石」を拾い、それが眠れる魔道師を目覚めさせてしまい…。

デイスが主人公なのですが、コンスル帝国の宮廷魔道師であるイザーカト兄弟の物語でもあります。兄弟の名は、ゲイル、テシア、ナハティ、カサンドラ、リンター、ミルディ、ヤエリ、イリア、デイサンダー。

この世界の魔道師は300年とか500年とか、とんでもない寿命をもつ上に、転生(生まれ変わり)するのでややこしい。たとえば、敵の魔道師を滅ぼしてもいずれ復活してくるわけで、油断大敵なのであります。

今回は9人の魔道師の「兄弟喧嘩」によって、国は傾き、大地は裂け、山が吹っ飛ぶという、大災厄の顛末が語られます。迷惑な連中です。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月19日 (土)

魔道師の月 (乾石智子)

魔道師の月 (創元推理文庫)
魔道師の月 』は『夜の写本師 』の作者の2作目。続編ではありませんが「ギデスディン魔法」創始者キアルスが主人公です。この世界では、書物の中の世界に入ったり、タペストリーの中に入って、そこに描かれた人物の生を体験することができたりします。

おまけに魔道師は数百年も寿命があるので、ひとりの魔道師の人生は複雑でややこしいことが多く、読んでいて混乱します。読みやすい小説ではありませんが、薄っぺらな英雄譚ではなく、読み応えがあります。

キアルスと、友人の魔道師レイサンダーは、人々を闇に引きずり込み、コンスル帝国を混乱に陥れる邪悪な木片「暗樹」と闘います。ただ、その太古の闇の力は強大で、人を闇に誘うのです。それを退ける力はどこにあるのか。果たしてふたりの運命は?

天を突く世界樹の枝葉がすこしずつ書物として描かれていくようなもの。壮大な物語の断片を大切に読ませていただきましょう。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月17日 (木)

夜の写本師 (乾石智子)

夜の写本師 (創元推理文庫)
夜の写本師 』では、 右手に月石、左手に黒曜石、口のなかに真珠をもって生まれてきたカリュドウが女魔道士エイリャに育てられ、13歳になったとき、エズキウムの魔道師長アンジストが現れて…。

写本師は魔道師ではないので、アンジストは敵だと思っていません。カリュドウは、育ての親と幼馴染の少女を殺したアンジストに対する復讐を誓った、というダークファンタジーです。

先日、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れ、日本の古典の写本(見本)を手にとって見る機会がありました。『枕草子』のくずし字がほとんど読めずショックを受けました。いま思うとあれは呪文です。まったく別世界の「写本」ではありますが、内容を理解しなければ写本できません。呪文書を写本できるなら、それは魔術を操ることができるということ…なのではないかと思うのです。というわけで、本書は妙なリアリティをもって読むことができました。

ただ、人を呪うと自分のなかに闇を抱えることになり、闇に飲み込まれると破滅してしまいます。果たしてカリュドウは復讐を果たすことができるのか。それはどのような形で果たされるのか。闇の奥底を覗く勇気があるなら、どうぞ本書を開いてみてください。

お勧め度:★★★★★

2016年11月15日 (火)

オーリエラントの魔道師たち (乾石智子)

オーリエラントの魔道師たち
オーリエラントの魔道師たち 』は『夜の写本師 』でデビューした作者の6作目、初の短編集です。 たまたま図書館で手にしたのが本書だったのです。それでも短編集なので『夜の写本師 』を読んでいなくても不都合はありませんでした。

1. 紐結びの魔道師
2. 闇を抱く
3. 黒蓮華
4. 魔導写本師

図書館の魔女』シリーズを読み終えて、もうすこしファンタジーの世界に浸っていたくて見つけた作家が乾石智子でした。本書では1話と4話が面白かった。とくに1話の紐結びの魔法で本人にも意外な、豪快な効果を発揮するところは痛快です。なにが起こるかわからないところが愉快です。(危なくって仕方ない?)

4話は写本師ですから、やはり『夜の写本師 』とつながる話なのでしょうか。このあと読んでみることにします。魔法の本は印刷ではなく、やはり本人が写本しなければいけないでしょう。魔法をつかうためにページを破ったりしたら、そこだけまた写すのかな。

「オーリエラントの魔道師」シリーズは以下のとおりです。

『夜の写本師』
『魔道師の月』
『太陽の石』
『オーリエラントの魔道師たち』
『沈黙の書』
『紐結びの魔道師』

お勧め度:★★★★☆

2016年11月14日 (月)

2016 やっとかめ文化祭 辻狂言「膏薬煉」を観てきました!

KITTE名古屋での「やっとかめ文化祭」は、ストリート歌舞伎を終え、端唄、「なごやうた」と続きます。2Fから見るとこんな感じ。舞台が小さいことがわかります。

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本日の辻狂言は「膏薬煉」(こうやくねり)。鎌倉と都(京)の膏薬煉がお互いの名声を聞いて、どれほどのものか確かめてやろうと旅に出て、ある場所で「薬臭い」「松脂臭いぞ」と偶然出会ったのでした。

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ふたりはまずは膏薬の名称と系図(由来)について交互に話します。鎌倉の膏薬を親指の腹に塗り、暴走した馬に向かって「吸え、吸え」というと見事に馬を吸い寄せたというのです。都の膏薬は、清涼殿の東庭におおきな石を置くのに、親指に塗って「吸え、吸え」というと見事に石が持ち上がって置くことができたとか。

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つづく薬種自慢では「空を飛ぶドウ亀」「榎の枝になる蛤」「6月30日に降った雪の黒焼き」「千尋の深さの海の底に生える筍」など、いかに珍しい材料を使っているかという、おかしなホラ吹き合戦になっています。

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最後は、どちらの軟膏が吸う力が強いか、鼻に塗って勝負しようということになり、睨み合って「あっち向いてホイ!」が始まります。さて、勝負はどちらが勝つのやら…。ほんと、狂言は古典漫才です。

KITTE名古屋であれば、もうすこし大きな舞台かと期待したのですが、円頓寺商店街のときと同じでした。1.5m×3mちょっとでしょうか。登場するのはふたりだけですから、十分な広さに思えるかもしれませんが、本来能舞台は6m四方ですから、それに比べるとかなり狭いのです。冒頭、左奥の常座に都の、右手前のワキ座に鎌倉の膏薬煉が座るのですが、その間2mもないでしょう。コロンと床を一回転するときなど舞台から落ちないかとヒヤヒヤします。

この舞台を見ていて『出雲の阿国』を思い出しました。歌舞伎を生み出した阿国の一座は、京都は鴨川の河原に舞台を設えて演じていたのです。土間ではなく、木を組んだ舞台があれば御の字だったとか。その舞台がこんな感じだったのではないでしょうか。名古屋市中、どこへ持っていっても舞台として設えることができる最大サイズがこれなのかもしれません。

演目がひとつ終わるたびに、演者が参加する次回イベントがあれば、司会が紹介するのですから「狂言(能)は名古屋能楽堂へ行けば見ることができる」ことを案内するべきだと思います。そうすれば、偶然通りかかって見た辻狂言でも「次に繋げる」ことができます。それでこそ「文化祭」でしょう。

来年、第5回「やっとかめ文化祭」を楽しみにしています。

2016年11月13日 (日)

2016 やっとかめ文化祭 ストリート歌舞伎『悪七兵衛景清』を観てきました!

やっとかめ文化祭」の本日の会場はKITTE名古屋1Fです。3Fまで吹き抜けになっている、お洒落な空間です。開演まで時間があるので、スタバでコーヒーを買って、JOUVAUDでクロワッサンを買って食べたらおいしかった。歌舞伎は一度しか見たことがありませんが、ストリート歌舞伎ってどんなものなのでしょう。

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『悪七兵衛景清』ということは平家物語の弓流し。「遠からん者は音にも聞け。近き者は目にも見ろ。われこそ、京の童がうわさする、上総悪七兵衛景清だ」ですね。

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歌舞伎にダンスパフォーマンスを加えた演出。黒い幕を持ってくるから何をするのかと思ったら人形劇が始まりました。

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しかし、いくら人形といえども姫さまを裸に剥くというのはどうかと思います。

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船上の扇を見事射抜いた那須与一が景清と戦います。そう、扇を射るときは2Fに登場しました。

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最後に全員登場して、景清が「土蜘蛛」のような蜘蛛の糸を投げてハイ、ポーズ! 歌舞伎らしいエンディングでした。

2016年11月12日 (土)

図書館の魔女 烏の伝言 (高田大介)

図書館の魔女 烏の伝言
図書館の魔女 烏の伝言 』は『図書館の魔女』の続編。約650ページあるので、読むのを後回しにしていたせいで本編の内容がうろ覚え。本編の主人公は図書館の魔女マツリカの付き人キリヒトでしたが、今回の主人公は鳩ではなく烏を使役する鳥飼エゴンです。

一国の政治体制が崩壊すると内乱が起こり、周辺国まで影響を受けます。マツリカの謀によって国を二分し、負け組となったニザマの官僚とその縁戚たちは国を落ちていくしかありません。地方官僚の姫君ユシャッパと近衛兵たちは、追手から逃れ、山を越え、港町を目指していました。その道案内と荷運びのために雇われた剛力集団のなかに先のエゴンもいたのです。

「主な登場人物」ページは、剛力、ニザマ、廓、鼠、杣の里、一ノ谷の6グループに分けられており、順番に登場してきます。つまり、高い塔の面々は最後に登場します。剛力たちの知る「図書館の魔女」とは「黒衣の随身に囲まれて海峡の東西を我物顔で往来する、邪悪極まりない鬼道の巫女」だとか。散々な言われようです。

虐げられ、侮られ、逃げ回ってばかりでも仲間は見捨てない。人としての矜持を曲げない点に共感して損得勘定を越えて助け合う連中が頼もしい。剛力、近衛兵、鼠たちは皆辛酸を舐めることになるのですが、その中にあってユシャッパは肝が座っています。どこかマツリカを彷彿とするのは「女はつよい」故でしょうか。

今週末はじっくり本を読むぞと決めたときにどうぞ!

お勧め度:★★★★★

2016年11月10日 (木)

超高速!参勤交代リターンズ (土橋章宏)

超高速!参勤交代 リターンズ (講談社文庫)
超高速!参勤交代 リターンズ 』は『超高速! 参勤交代 』の続編。

通常8日かかる参勤交代を5日で江戸まで上るよう、東北の貧乏弱小藩「湯長谷藩」は幕府が命じられ、さぁたいへん! 藩主・内藤政醇をはじめ、家臣たちが走る、走る。途中、妨害工作もあって絶体絶命のピンチをくぐり抜け、江戸城へ辿り着いた内藤は、悪徳老中・松平信祝をぶん殴ったのでした。あぁ、スッキリした。

これはその後日譚。無事参勤を成し遂げ、上様からお褒めの言葉も頂戴し「さて帰るか」。牛久で、内藤が惚れたお咲を連れ帰ることになったのですが、身請けの金が20両足りません。「働くしかないだろう」って、おい! のっけから笑わせてくれます。

とにかくテンポがいい。城代家老・相馬兼続が捻り出すアイディアは荒唐無稽なものが多くて愉快です。領民の農作業を手伝うのが趣味という藩主なのですが、じつは居合の達人というギャップもいい。そして、定番の勧善懲悪で締めくくってくれます。

前作同様、映画化が予定されているということで、そちらも楽しみです。

お勧め度:★★★★★

2016年11月 8日 (火)

文楽へようこそ (桐竹勘十郎、吉田玉女)

文楽へようこそ (実用単行本)
文楽へようこそ 』は、 実際の舞台でも拝見する人形遣い・桐竹勘十郎さん、吉田玉女さんの対談やそれぞれお好きな演目紹介など、人形遣いを中心にした文楽案内です。

「足遣い10年、左遣い15年」を経て、ようやく主遣いができるようになる世界。2階席から舞台を見ていると足遣いさんがずっと前かがみなので「あの姿勢は辛そうだな」。足遣いは「動かないでいるほうがつらい」など、経験者の言葉には重み、真実味があって興味深い。

カラー写真も多いので、気軽に読めると思います。文楽を初めて見た方にお勧めします。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月 6日 (日)

2016 やっとかめ文化祭 辻狂言「寝音曲」を観てきました!

能といっしょに狂言も観るようになったのですが「辻狂言」というのがどういうものか知りたくて、名古屋は円頓寺商店街の「やっとかめ文化祭」に行ってきました。同時に「ブックマーク名古屋」という古本市もやっていてにぎやかでした。

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予定より早く着いたら、アーケードの下の小さな舞台では「三河漫才」を演じていました。家の門口で行って金品をもらう「門付け」っていうんですよね。5人がにこやかに歌って踊っています。2畳ほどしかスペースがないので狭くてやりにくそうでしたが、終始にこやかだったのが印象的でした。

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次は「津軽三味線」です。じょんがら節だけでなく、童謡「どんぐりころころ」を東北風、名古屋風、沖縄風にアレンジして演奏したり、ノートPCで打ち込んだ(と思しき)カラオケを流してオリジナル曲を演奏したり、おもしろい芸を披露してくれました。

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そして、辻狂言「寝音曲」です。太郎冠者が酔って唄っていた小唄を聞きつけた主人が、自分のまえで唄ってみろと命じます。ところが何度も歌わされてはたまらんと「酒を呑まねば唄えませぬ」「女の膝枕でないと声が出ませぬ」と難癖をつけます。

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あ、先日名古屋能楽堂で行われた「草薙」でアイをつとめた野村又三郎さんが主人ではないですか。つまり、ここで辻狂言を演じるのはプロ、現役の狂言師です。

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膝枕でないと唄えないのであれば、わしの膝を使えというわけで、そこまで言われたら断れません。太郎冠者は膝枕で小唄を唄います。しかし、一回唄っただけでは主人は納得しません。再度唄わせるのですが、座ったままでは声が出ないというのが納得できない主人は一計を講じます。

あとでお二人にインタビューがあって、野村又三郎さんは能舞台との落差にかなりやりづらいようで「目のやり場に困ります」。たしかに手を伸ばせば届くようなところに観客が立っているのです。いつもは見下ろしている観客が、目線の先にいたのでは勝手がちがうでしょう。「劣悪な環境」のなか、間近で見せていただき、ありがとうございました。

やっとかめ文化祭」期間中、辻狂言は10回あるのですが、毎回異なる曲を演じるようです。11/19(土)は「西尾城址薪能」でも演じられた「成上り」です。

地域のささやかなイベントなのに、中身は思ったより本格的なので驚きました。みなさんもお時間があれば足を運んでみてください。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月 4日 (金)

2016 やっとかめ文化祭【観劇記】能:草薙 狂言:昆布売り

名古屋で年に一度開催される「やっとかめ文化祭」。「やっとかめ」というのは名古屋弁で「久しぶり」という意味ですが、実際の会話で聞いたことはありません。10/29-11/20までの期間中、町のあちこちでイベントが行われ、その一環として名古屋能楽堂で能「草薙」、狂言「昆布売り」がありました。

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すべて自由席なので、いつもは指定席になっている舞台正面に座ってみました。

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前から3列目、やや右寄りの席です。ここならば双眼鏡は不要です。それにしても、ふだんの定例公演に比べると圧倒的にお客さんが多い。祝日の午後ということもあるのでしょうが、市を挙げてのイベント(NPOが主催)なので宣伝が行き届いているような気がします。

▼ 狂言「昆布売り」

刀をもった侍(大名)が現れ、お供がいないので通りかかった者を太刀持ちにしようと企んでいます。そこへ出てきたのが若狭は小浜の昆布売り。声をかけて強引に太刀を持たせてついてくるように言います。家来のように扱われた昆布売りは怒って太刀を突きつけて大名を脅し「昆布を売れ」。「昆布召され候へ昆布召され候へ、若狭の小浜の召しの昆布を召し上げられ候へ」と、最初は口上だけなのが、節がついて、足踏みがついて、最後は舞までついて。それを見ながら昆布売りは「愉快な奴じゃ」と笑って「太刀は返すまいぞ」と去っていきます。

能、狂言ともに「ござる」「そうろう」「申す」コトバが使われ、わたしの感覚ではそれは侍コトバなのですが、僧でも大名でも昆布売りでも同様なのが不思議。室町時代って物売りでも言葉遣いが丁寧だったのでしょうか?

▼ 能「草薙」

名古屋の熱田神宮に祀られる三種の神器の一、草薙の剣がモチーフになっています。

比叡山の恵心僧都が熱田神宮に7日間参籠し、天下泰平を祈願する最勝王経を講じていると花売りの男女がやってきます。主に橘を商って生計を立てているようです。ふたりは夫婦で「草薙の神剣を守る神」と「齢を延ぶる仙女」だと言って姿を消します。

面をつけた花売女(ツレ)の声を聞いた途端「あ、女性だ」。能楽師は男性ばかりかと思っていましたが、女性もいるのですね。いや、女性が演じてくれてホッとしました。能楽師と役柄の性別は無関係だと頭ではわかっているつもりなのですが、大柄で顔の大きな男性が小さな能面をつけているとどうしても引いてしまうのです。

ちょっと歩き方について気になったのですが、前ツレ(花売女)は爪先も踵も上げて歩いていたので「おや?」。能では踵を上げないはずでは? それが後ツレ(橘姫)は、踵は上げずに歩いていました。役柄によって歩き方が変わるのでしょうか。

次に登場したのは里人なのですが、アイなので狂言方です。これを「間狂言(あいきょうげん)」というのですね。里人が僧に熱田神宮の歴史や功徳を説明し、参籠7日目の夜、日本武尊と橘姫の霊が現れます。日本武尊が、東国征伐に赴いた際、敵に火をかけられたのを草薙の剣で草を薙ぎ払い、敵を打ち破ったことを語ります。

日本武尊と橘姫の霊は衣装も美しい。まさに「神々しい」。

そして、草薙の剣が熱田神宮に納められ、国が栄え民が平和に暮らすのは最勝王経の功徳だということで締めくくられます。が、なんで熱田神宮で僧がお経を唱えるの? 恵心僧都は平安時代中期の天台宗の僧です。その時代、神社もお寺も区別がなかったの?

これはあくまで推測ですが、まず「草薙の剣」の物語を曲にしたかった。すると舞台は熱田神宮で決まり。本来、神社なら神主とか禰宜が祝詞を上げるもの。でも、能におけるワキは旅の僧であって、旅の禰宜というのは考えにくい。国を守護する最勝王経を講ずるならば僧でなければなりません。要するにこれは「草薙の剣で国を守り平和をもたらしたことと重ねて、最勝王経で護国の神・日本武尊を讃える」曲であり、舞台がたまたま熱田神宮だったのではないでしょうか。作者なりの優先順位があったのだと思います。

ツッコミどころはありましたが、大鼓が河村眞之介さんだったので満足です。あの「カンっ」という鋭い音が好き。あとは掛け声ですね。若い囃子方さんは掛け声が一本調子だったりするけれど、河村眞之介さんはそうじゃない。やはり経験を積む必要があるということなのでしょう。

能はいろんな見方、楽しみ方があります。能面や衣装に注目してもいいし、能楽師の所作や謡にこだわるのもいい。当時の歴史を調べてみるとか、関係書籍を読んでみるとか、すこし掘り下げただけで視界が広がっていきます。好奇心があればなんだって面白いのです。

お勧め度:★★★★★

2016年11月 3日 (木)

夏目漱石『草枕』と能楽

草枕・二百十日 (角川文庫)

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

まったく同感であります。

異界を旅する能 ワキという存在』で、夏目漱石が能を学んでいたと知って『草枕』を読み直してみたところ、たしかに能に触れている部分があります。

どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。

「芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をする」とは、上手いことを言います。明治時代から見ても、あれは「悠長な振舞」なのですね。漱石と能の関わりについて、もうすこし知りたくて、鶴舞図書館で『近代文学と能楽』 (松田 存)を借りてきました。この本は、漱石以外にも坪内逍遥、北村透谷、正岡子規、泉鏡花、芥川龍之介、谷崎潤一郎、堀辰雄らと能の関わりについて書かれています。

漱石の日記を調べたところ、謡の稽古をしたのが30曲あると書いてありました。

綾鼓、雨月、大原御幸、杜若、花月、砧、清経、黒塚、桜川、実盛、俊寛、隅田川、蝉丸、千手、草紙洗、調伏曾我、土車、鉢木、花筐、雲雀山、富士太鼓、藤戸、舟弁慶、三井寺、通盛、三山、望月、盛久、湯谷、頼政

これらには共通して「エゴイズムに端を発して苦しむ人間の種々相が描かれている」といいます。それが漱石の作品にも反映されていると。

それにしても『草枕』の主人公は、画家として浮世を離れた旅に出るのですが、海外の文学にも詳しく、能の謡、俳句を含めた詩歌、漢詩も嗜めば、書にもそこそこ通じている、超インテリです。これがそのまま漱石です。

この不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。

上記の文章は、たとえば英文を読む際に辞書を引くのと同程度に国語辞典を必要とします。iPhoneで青空文庫を読んでいれば、単語を選択して「辞書」をタップすれば意味が表示されるはずなのですが、必ずしも載っていません。

やや脱線しますが、わたしが好きな小説『神様のカルテ』の主人公・栗原一止の愛読書が『草枕』なのです。全文暗唱できるほどで、漱石好きが高じて口調もやや古めかしいという設定。彼も個人的には「非人情」でありたいと望みながら、医師として患者に「情」をかけてしまい、その命を救えなかったときに深く傷つくのです。小説の舞台になった松本を思い出します。

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい」ということですね。同感です。

お勧め度:★★★★★

2016年11月 2日 (水)

能と古典文学 (松田存)

能と古典文学 (1981年)』は、古事記、日本書紀、風土記に始まり、万葉集、伊勢物語、源氏物語、大和物語、平家物語、太平記などを素材にしている能について解説している学術研究書です。こういう書物に触れることができるのも図書館のおかげです。

たとえば、兼平、木曾、巴、屋島、土蜘蛛、敦盛、小督、実盛、熊野、景清など、平家物語を素にする曲が多いから、平家物語に親しんだほうがより深く、それらの曲を理解できる。という理屈はわかるのですが、冒頭に挙げた古典を読破する自信はありません。

その点、本書は関わりのある部分を網羅的に示してくれるので、ざっと概観することができます。また、小野小町に関わる曲についても解説があって、先日見た「通小町」の項は興味深く読むことができました。

お勧め度:★★★★☆

2016年11月 1日 (火)

2016 西尾城址薪能 【観劇編】(能:舎利、狂言:成上り)

岩瀬文庫と西尾城址界隈を散策してから西尾市文化会館に着きました。ここが薪能の会場です。薪能って屋外でするものだと思うのですが、なにか事情があるのでしょうか。

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午後1時に開場となり、大ホールへ向かいます。ずいぶん大きくて立派な会館です。ロビーには、抹茶コーナーと、能面と衣装の展示があります。

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大ホールの舞台に「能舞台」が設えてあります。歌舞伎などと違って能は一回限りの舞台です。

Img_3030

柱から上の屋根を取り払い、下手側に橋掛かりを伸ばした格好です。観客にとって能楽堂の柱は意外と邪魔なので、このほうが見やすいかも。橋掛かりが短いけれど、大中小の3本の松がかわいい。

西尾城址薪能は今回で22回目だとか。地元出身能楽師の方をはじめ有志のご尽力で続けてこられて、これだけ多くの市民が見に来られているのは快挙だと思います。1,000人収容の大ホールの9割ほど埋まっています。

能は「未就学児の入場はお断りします」ということが多いのですが、今回は2階に「親子席」を設けてあるとか。子供たちにも能を感じてもらう、良い機会です。来賓挨拶と、シテ方による能の解説を終えると開演です。

本日の演目は、仕舞「玉之段」「邯鄲」、一調「春日龍神」と狂言「成上り」(太郎冠者:野村萬斎)、能「舎利」です。一調というのは、謡がひとり、太鼓がひとりで能の聴かせどころを演奏するもの。仕舞と一調はそれぞれ短く、そのまま狂言へと続きます。

▼ 狂言「成上り」

野村萬斎の太郎冠者が、殿のお供をして出かけた先で眠っている隙に刀を盗まれ、青竹にすり替えられてしまいます。翌朝、太郎冠者は言い訳を始めます。嫁が姑になるとか、渋柿が熟れて甘くなるとか(当たり前)、山の芋が鰻になるとか、そして刀が青竹に「成上り」ました、と。(く、苦しい)

殿は「そんなわけがあるか。それはすり替えられたのじゃ」と一喝。近くをうろついていたすっぱ(盗人)を見つけた主従はすっぱを捕縛せんとするのですが…ドタバタ劇が笑えます。太郎冠者の裃の背にはナマズが2匹。すっぱはネズミ(?)。それはなに? 松竹新喜劇ならツッコミどころです。

以前、狂言と能は別物だと思っていたのですが、両方とも能楽のなかに含まれていて、能の前に狂言が演じられたりします。ここで15分間の休憩です。

▼ 能「舎利」

京都・泉涌寺を訪れた僧が仏舎利(お釈迦様の骨)を見せてほしいと寺守に頼んだところ、足疾鬼(そくしっき)が現れ、舎利を盗んで逃げてしまいます。慌てた寺守は僧と共に韋駄天に祈ると、韋駄天が足疾鬼を追って、天上世界を飛び回ります。舞台上、畳ほどの大きさの台が置かれ、そこが泉涌寺らしく、足疾鬼は四角い台を踏み潰して舎利を取っていきます。踏み潰すのは舎利殿の天井を破ったという意味のようです。

韋駄天のド派手な衣装も目を引きますが、足疾鬼の追跡劇が見ものです。その際、お囃子は、笛と鼓に太鼓も加わって、速いテンポで盛り上がっていきます。こんなに激しいお囃子は初めて聴きます。ゆっくりした曲が多いなかで、舎利のお囃子は気に入りました。それに大鼓の河村眞之介さんのファンなのです。笛は藤田六郎兵衛さんがお気に入り。能の「音楽」が大好き。

ちなみに、2017年の西尾城址薪能は11月18日(土) 午後を予定しているとか。足疾鬼が笑っていることでしょう。

お勧め度:★★★★★

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