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2011年1月

2011年1月31日 (月)

美女と竹林 (森見登美彦)

                                                 
                                            

                    「美女と竹林」 ハードカバー版の帯には次のようにあります。                

               

                    「美女に会ったら伝えてくれ。俺は嫁を大事にする男だと。妄想と執筆に明け暮れた、多忙にして過酷な日々。森見登美彦氏を支えたのは、竹林であった。美女ではないのが、どうにも遺憾である。」                

               

                    宣伝文句に惑わされてはいけません。15ページくらいまで読んだところで「あと260ページもこの調子が続くのか…すごく嫌な予感がする。オチがなかったら許さんぞ!」。軽妙かつ惚けた語り口はなにかを思い出す。そう、星新一のショートショートだ。しかし、そこに込められているのはブラックユーモアではなく、ほとんどが苦しい言い訳だけど。                

               

                    森見登美彦の小説は「太陽の塔」「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「きつねのはなし」「【新釈】走れメロス 他四篇」「有頂天家族」と読ませてもらってきたけれど、一体この本は何? どうやら2007年から2008年にかけて「小説宝石」に17回連載された「妄想エッセイ」集らしい。いや、妄想というより孟宗(竹)か。「美女と竹林」とあるけれど、正確には「美女か竹林」だ。                

               

                    わたしにとって「森見登美彦=京都大学+四畳半+黒髪の乙女もしくは狸」という図式が成り立っていて、好きな作家のひとりに数えてもいいと思っています。作家の人となりを知るには「あとがき」が参考になるのだけれど、わたしは森見登美彦のあとがきを読んだことがありません。この本は小説でもエッセイでもありません。月に一度の「あとがき」集です。当然ストーリーなど存在しません。突っ込みどころ満載です。                

               

                    京都の西、桂にある竹林に手を入れて(古い竹を伐って)美しいものにするのが行動目的なのですが、締切に追われて忙しかったり、夏は暑かったり、ひとりでは寂しかったりと全くはかどりません。案の定、最後の最後まで。                

               

                    「かぐや姫、おらんね」
                    「かぐや姫を切ってしまわないように、くれぐれも気をつけろ。血みどろはごめんです」
                    「待て。こんな枯れた竹を刈ってもダメだ。もしかぐや姫が中にいたとしても、竹が枯れるまで居座っていたらバアさんではないか」                

               

                    思わずプッと吹き出すこともあり、なかなか楽しい読み物でした。ただし「森見登美彦は初めて」という方にはお勧めできません。「夜は短し歩けよ乙女」あたりを読んだあとにしたほうがいい。なにせ「あとがき」ですから。                

               

                    お勧め度:★★★★★                

            

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2011年1月29日 (土)

誰か (宮部みゆき)

今多コンツェルン会長の娘婿である杉村三郎は広報室勤務。会長個人の運転手だった梶田信夫が「自転車」に撥ねられて死亡し、ふたりの娘たちは、事故を起こした犯人を見つけ出すきっかけになればと梶田の生前の様子を本にしたいという相談を受け、杉村自身も調べ始めます。

劇的な事件が起こるわけではなく、ふつうの人が生活する中で、何かの拍子に踏み外してしまったり、悪意はなかったのだけど人を傷つけたりといった「日常の犯罪」を杉村三郎の視点で描いています。ちなみに「誰か」というタイトルは、東京音頭の作詞者・西条八十の詩から取られたもの。

  誰か

暗い、暗い、と云ひながら
誰か窓下を通る。

室内には瓦斯が灯り
戸外はまだ明るい筈だのに

暗い、暗い、と云ひながら
誰か窓下を通る。

「誰か」とは誰なのか。誰でも「誰か」になりうるというミステリーです。

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月27日 (木)

僕は友達が少ない 2 (平坂読)

友達をつくることを目的とする「隣人部」のメンバーに、メイド服を着たアヤシイ楠幸村(♂)、10歳にしてシスターで顧問のカワイソーなマリア先生、白衣を着たアブナイ特待生・志熊理科、主人公・小鷹の妹であるゴスロリ+ブラコン少女・小鳩まで加わって大いに盛り上がる…はずなのですが、なにをやっても残念な展開になってしまうのでした。犬猿の仲の三日月夜空 Vs. 柏崎星奈もパワー全開! 「僕は友達が少ない」シリーズ第2弾。

メンバーは7人まで増えたものの活動自体は1巻の路線を継承。小鷹と夜空が過去に関係があったことを匂わせてはいますが、新しい展開が見られず退屈…。

放課後、部室に集まって本を読んだり、ゲームをしたり、お茶汲み係がいて…というのはまるで涼宮ハルヒのSOS団。お茶を淹れてもらうなら幸村より朝比奈さんがいいなー。それにしても、同じ部に所属していてもお互い「友達」とは認めないのが謎です。友達ができちゃったら話が続かなくなるから?(苦笑)

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月26日 (水)

僕は友達が少ない (平坂読)

とってもイタイケ、否、イタイ少年少女たちの物語である。「そりゃ友達いないだろうなぁ」という連中なのだ。

いつも不機嫌そうな三日月夜空がひとりで楽しげに喋っていると思ったら相手は「エア友達」。それを目撃した転校生の羽瀬川小鷹(これ一応、主人公)を捕まえて「隣人部」なる部活を始める。部員募集ポスターに込められた秘密のメッセージを読み取った柏崎星奈を部員に迎え、漫才トリオの迷走、暴走が始まる。そこにまたややこしい奴がやって来て…メチャクチャだけど滅法愉快な青春ラブコメなのでした。

これまででいちばん勢いがあって、サクサク読めたラノベです。冒頭の「つかみ」に度肝を抜かれ、夜空と星奈の大喧嘩に転がされ、小鷹が突っ込む間もなく、文字通り「一巻の終わり」みたいな。(笑)

笑えるラノベを読みたい方にお勧めします。作者も「友達が少ない」のかなぁ。(余計なお世話?)

お勧め度:★★★★★

2011年1月25日 (火)

大空のサムライ (上・下) 死闘の果てに悔いなし (坂井三郎)

永遠の0」(百田 尚樹)で興味を持った零戦にまつわる本として手に取ってみました。

「わたしたち(飛行機乗り)のあいだには<生きる>ということを考えていたものは、一人もいなかった。死ぬことを飛行機乗りの当然の運命のように甘受していた。」

なるほど当時「生きて帰りたい」と言った「永遠の0」の宮部久蔵はとんでもない異端児だったわけですが、戦時が国民感情が異常だったのであって、いま振り返ると死にたくないのが当然です。

1916年生まれの坂井三郎が海軍に入ったのは16歳のとき。1938年から太平洋戦争終結まで、九六艦戦、零戦で200回以上出撃し64機を撃墜したという猛者。これは戦闘機乗りとしての坂井の自伝です。

以下の1~4章が上巻、5~8章が下巻に分かれています。

  1. 苦しみの日は長くとも
  2. 宿願の日来たりて去る
  3. ゼロこそ我が生命なり
  4. 死闘の果てに悔いなし
  5. 向かうところ、敵なし
  6. 孤独なる苦闘の果てに
  7. 迫りくる破局の中で
  8. 大空が俺を呼んでいる

全体に重苦しい雰囲気のある「永遠の0」に比べて「大空のサムライ」は淡々と綴られています。敵とはいえ、人を殺傷し、仲間が死んでいくのを見ながらも「死闘の果てに悔いなし」とは、ここまで割り切ることができるものなのでしょうか。

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月23日 (日)

ボーイズ・ビー (森 望実)

先月、母親を亡くした川畑隼人は小6の12歳。小1の弟・直也、消防士の父・正和と暮らしています。直也は母が死んだということが理解できず精神状態が不安定なのに、留守がちの父からは「直也を頼むぞ」。隼人だって母を亡くして悲しいし、寂しいのに、父に相談することもできず途方に暮れていたところ、直也が通う絵画教室の近くで70歳の靴職人・園田栄造と出会います。ぶっきらぼうで人嫌いのじいさんに「ガキ」と呼ばれながらも、すっと懐に入り込んでいく隼人。一方の栄造もじつは悩みを抱えていて…。

いい話です。これは児童書ではありませんし、コミックの「BOYS BE…」とも関係ありません。年齢を超えて「人」として関わりあう中で悩みや問題を解決していく様子を描いた、すばらしい小説です。(誉め過ぎ?)

書評で栄造は「アルファロメオに乗っている」とあったのでスパイダー(2人乗りのオープンカー)かと思ったら「アルファロメオ155」でした。155はミドルクラスの4ドアセダン。わたしも乗っていました、ボディカラーは赤ではなくシルバーでしたけど。左ハンドルのマニュアルシフトで、運転するのが楽しいクルマでした。1990年代のクルマなので、街で見かけることも少なくなりましたが、日本で155に乗っている人はまちがいなく「クルマ好き」です。

イタリアの靴は「縫い目は揃ってないし、接着剤が一ヶ所で固まっている。しかしそれは愛せるものだ。人は決して完璧な物を求めているわけではない」という下りがありましたが、それはイタリアのクルマ(アルファロメオ)にも当てはまります。内部を見ると日本やドイツの車では考えれないようないい加減な造りだったりするけれど、実際に走らせると楽しいし愛着が湧いてくるから不思議です。しかし「足元からズンという音が響いたらすぐに停車して15分待たないといけない」というのは、それ、どこか壊れてます。ちゃんと修理しなくちゃだめですよ。(苦笑)

思い切り脱線してしまいましたが、この1冊はお勧めです!

お勧め度:★★★★★

2011年1月22日 (土)

運命の女に気をつけろ (沢村 鐵)

劇団・北多摩モリブデッツに客員女優として参加することになった「運命の女」安堂夏姫。劇団の男どもはあっさり手玉に取られて連戦連敗。こんな気まずい空気のままでは、全国公演は一体どうなってしまうんだ!?

実際、なるようになるわけで…。東京郊外のちいさな劇団を舞台にした悪女のお話です。

お勧め度:★★☆☆☆ 

2011年1月20日 (木)

ラスト・イニング (あさの あつこ)

あさのあつこの野球小説「バッテリー」の番外編。野球を通じて変わっていく少年たちの心理を絶妙な筆致で描き出す人間賛歌。高校生になって野球をやめてしまった瑞垣の視点で語られる話が多いのですが、新田東中と横手二中の再試合の結末「ラスト・イニング」が収められているのでファン必読です。

「バッテリー」を読み終えて時間が経っているので忘れている部分も多く、もう一度「バッテリー」を読み直そうかと考えているところです。

お勧め度:★★★★☆

2011年1月18日 (火)

告白 (湊かなえ)

幼い愛娘を校内で亡くした中学校の女性教師のホームルームでの「告白」から物語は始まります。

「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです。」

  1. 聖職者(クラス担任教師・森口悠子=被害者の母親)
  2. 殉教者(クラス委員長・北原美月)
  3. 慈愛者(犯人Bの姉)
  4. 求道者(犯人B)
  5. 信奉者(犯人A)
  6. 伝道者(森口悠子)

上記6章から成っていて、章のタイトルの右の括弧内は誰の告白なのかをわたしが記入しました。関係者が順番に告白していくことで事件の全容が明らかになっていく仕組みなのですが、第1章だけで十分ショッキングです。かわいい娘を殺されたとわかっても「警察が事故だと判断したのなら、それを蒸し返すつもりはありません」と言ってのける母親。なにを考えているのか理解できなかったのですが、少年法は犯人を守ってしまうから、級友から制裁を受けさせようとしたのです。それを教師が考えたというのがコワい。

こんな事件が警察沙汰にならないというのは現実的ではないのですが、そこをフィクションと割り切ってしまえば、よくできたミステリー小説です。ただし、犯人探しではなく復讐劇。真の復讐(裁き)とはなにかを考えさせる点で物議をかもしたことでしょう。わたしの中では「重力ピエロ」(伊坂幸太郎)、「船に乗れ!」(藤谷 治)を超える問題作です。

森口悠子のやり方は決して認められるものではありませんが、わたしは責めることもできません。犯人の身勝手さに対する怒りを共有するからか、最後に思わず溜飲を下げてしまう自分がいることに気付いて驚いています。あくまでフィクションとしてお楽しみください。

お勧め度:★★★★★

2011年1月17日 (月)

楽園のつくりかた (笹生陽子)

受験勉強に集中して東大に入り、一流企業に就職して金持ちになることを目標に掲げる中学生の優は、ある日、母親から田舎の祖父の家に引っ越すと告げられます。転校先の中学2年の同級生はたったの3人。バカ丸出しのサル男、いつもマスクの根暗女、アイドル並みの美少女? 一体、優の将来はどうなってしまうのでしょうか…。

マイペースな母親と、ちょっとボケてるおじいちゃん、それに風変わりなクラスメイトたちの中で、優は勉強が遅れていくことに苛立ち、孤立していきます。じつは、優はおおきな不幸を背負い、そこから眼を背けていたのですが、クラスメイトたちはそのことも含めて優を受け入れてくれていたのです。

毎日の生活を地獄にするも、楽園にするも本人次第。ほのぼのとした青春小説です。

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月16日 (日)

夜と霧 新版 (ヴィクトール・E・フランクル)

『神様のカルテ2』(夏川 草介)で栗原榛名(主人公の細君ハルさん)が書名だけ挙げていたのを読んでみたところ、なんとホロコーストの話でした。「夜と霧」というのは夜陰に乗じて逮捕され強制収容所に連行されることを意味しているとか。これは、ユダヤ人精神分析学者フランクルがアウシュビッツ等の強制収容所での体験を心理学者として観察、分析した記録です。

「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。」

「この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともでない人間だけの集団もない。」

つまり、ナチスの強制収容所にも「まともな人間」がいたということです。フランクル自身、想像を絶する過酷な環境にあったのに(解放後とはいえ)よくこんなに冷静に書けたものだと感嘆します。被収容者の状況は悲惨極まりないものですが、本書はその悲惨さを伝えるのが目的ではありません。ですから、血生臭くて読めないということはないはず。それよりは、人間の本質や生きる意味、なにが生と死を分けるかなど哲学的ともいえる洞察を多く含みます。フランクルの勇気に敬意を表したいと思います。

お勧め度:★★★★☆

2011年1月14日 (金)

神様のカルテ 2 (夏川 草介)

夏目漱石を愛する内科医・栗原一止(くりはら いちと)の本庄病院での奮闘ぶりを伝える「神様のカルテ」第2弾です。今回、本庄病院に新任医師・進藤辰也が加わります。栗原とは大学の同期で、ともに将棋部だったという旧知の仲。しかし、栗原の知る進藤とは変わってしまっていました。

前作よりページ数が増えましたが、涙なくして読めないページは減ったように思います。その分、冬の信州の自然描写と将棋の場面が増えたかな。(笑)

運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。

この「虞美人草」の一節が「神様のカルテ」のテーマになっているのではないでしょうか。栗原一止は「非人間的」な労働環境にあっても、医師として以前に「人間らしく」働こうとします。栗原が病院の事務長に食ってかかります。

「医者は患者の治療だけしていればよい、というのですか」
「たとえ病が治らなくとも、我々にはできることがあるのだとは考えないのですか」
「治らない患者は出て行けとでも言うおつもりですか」

さて、栗原が仕掛けた「治らない患者のためにできること」とは? 前作が気に入った方はぜひ!

お勧め度:★★★★★

2011年1月13日 (木)

ボクシング・デイ (樫崎 茜)

「ボクシング・デイ」とは元来、クリスマスの翌日12月26日、キリスト教の教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマスプレゼントの箱(BOX)を開ける日だったとか。

下諏訪の緑丘小学校4年生の夏目栞は「ち」と「き」をちゃんと発音できず、週2回、校内の「ことばの教室」に通っていました。「みんなできることをわたしだけできない」とコンプレックスを感じていた栞は、おじいちゃん先生の佐山先生に発音練習だけでなく、いろんなことを相談しながら、やさしく教えてもらってすこしずつ成長していくのでした。

校庭のセコイヤの大木が伐り倒されることが大事件として持ち上がるくらい、平穏な日々が淡々と描かれています。ただ、一見平穏に見えても10歳の少女にとってはそうでもなかったりするわけで、心穏やかに読むことができた、さわやかな読後感の小説です。

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月12日 (水)

燃える地の果てに (上・下) (逢坂 剛)

1965年、スペイン南部の田舎町パロマレス上空で、核爆弾を搭載した米軍爆撃機B52が炎上、墜落。核爆弾4基のうち3基は発見されたが残る1基が見つからず、米軍は事実をひた隠しにして捜索するのでした。(この事故だけは史実です)

その町に、エル・ヴィエントという名工のギターを求めて滞在していた日本人フラメンコギタリスト・古城邦秋(通称ホセリート)の物語がひとつの軸となり、30年後の1995年の日本は新宿にある小さなバー”エル・ヴィエント”のマスター・織部まさる(通称サティ)がイギリス人クラシックギタリスト・ファラオナ・マクニコルと出会う物語がもう一方の軸となり、交互にストーリーは展開していきます。

あとで知ったことですが、これは「このミステリーがすごい!」 1999年に2位になった作品です。そうか、これはミステリーだったんだ。B52の墜落事故をめぐってソ連のスパイが暗躍し「一体だれがスパイだ?」と考えながら読むのですが、わたしの予想は外れました。(苦笑)

ギター製作の過程を見ながら、その構造や特徴を知ることができる、お得な部分もあります。わたし自身のアコースティックギターに関する経験でも、安いギターは弦が鳴るだけですが、良いギターはボディが鳴り、豊かな音が響きます。また、ギターは工芸品でもあるので、表面の仕上げも重要だというのは頷けました。

1965年と1995年のふたつの物語が出会ったとき、どんでん返しに遭いまして、一瞬わけがわからなくなりました。え、一体なにがどうなったの? こんなの、絶対に予測不能です。映画ではなく、顔が見えない小説だからこそできたことではないでしょうか。そういう意味で「やられた!」という感じです。

スリルあり、サスペンスあり、ロマンスありと読み応えがあります。じっくりとお楽しみください!

お勧め度:★★★★☆

2011年1月10日 (月)

グイン・サーガ・ハンドブック Final (栗本薫・天狼プロダクション監修)

「グイン・サーガ」が1978年にスタートしたときの背景や位置づけなど、小谷真理による「グイン・サーガ論」(グイン・サーガの魅力について)や、大半を占める用語集「グイン・サーガ大辞典」と「グイン・サーガ全ストーリー紹介」を掲載した最後のハンドブック。折込カラー地図付き。

「全ストーリー紹介」を読んでみると懐かしさがこみ上げてきます。

  • パロ奪還編
  • ケイロニア陰謀編
  • モンゴール復活編
  • シルヴィア誘拐編
  • アムブラ騒乱編
  • ゴーラ戦乱編
  • パロ内乱編
  • 記憶喪失編
  • タイス激闘編
  • ミロク編

こうして振り返ってみるとタイス編が長すぎました。グインが身分も明かせずじっと我慢の日々だったので読んでいてストレスが溜まりました。ただ、作者はどうしてもタイスを描きたかったのだろうと思います。

ここまで築き上げてきたヒロイック・ファンタジーが完結せずに終わってしまったことは残念です。誰か引き継いで続けてください!

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月 8日 (土)

ゴールデンスランバー (伊坂 幸太郎)

「おまえ、オズワルドにされるぞ」。大学時代の友人・森田に呼び出され、そう告げられた直後、首相暗殺の爆弾が炸裂した。そして、その犯人は俺だと報道されている。一体なにが起こってるんだ!?

アメリカのケネディ大統領暗殺事件の犯人として拘束され殺害されたオズワルド。首相暗殺の濡れ衣を着せられ、巨大な権力によって抹殺されようとしている青年・青柳雅春が逃げて、逃げて、逃げまくるサスペンス小説です。

この本は5部構成。

  1. 事件のはじまり
  2. 事件の視聴者
  3. 事件から二十年後
  4. 事件
  5. 事件から三ヵ月後

第4部の「事件」がほとんどを占めるのですが、第1部で首相暗殺事件が起こり、第2部では病院でテレビを見ている様子が描かれ、第3部では事件の20年後、真相は明らかにされないまま封印されたことになっていて、第4部で関係者視点で順番に説明されていくのですが、説明が長いもので疲れてきて、斜め読みを始めたらストーリーがわからなくなってしまいました。(お恥ずかしい)

とにかく最後までページを繰ってから最初に戻って読み直して納得。映画化されていることを知ってTSUTAYAで借りてきました。豪華キャストでなかなか面白かった。映画では原作を端折ってあったり、改変している部分も多々あるので、映画を見てから原作を読んでみるのもお勧めです。伏線も多く、ストーリーはもっと奥深いです。

ビートルズのアルバム「アビー・ロード」に収められている「ゴールデン・スランバー」という曲をモチーフにしているのでiPodで聴きながら読んでいたのですが、映画で同機種のiPodが出てきてビックリ。余談ですが、自宅のCDライブラリを全部iPodにぶち込んだらディスク使用量が60GBになりました。それでもiPodのディスクはまだまだ余裕。本や音楽だけでなく映画だってネットからダウンロードして持ち運べる時代になりました。

かつての恋人や友人、同僚らに助けられ、なんとか逃げおおせるわけですが、事件後、会いたくても会えない両親や友人らに「俺は生きている」ということを相手にだけ通じる方法で伝えます。ラストシーンも含めて、それが粋で良いのです。アウトローの三浦まで味方につけてしまうところはフィクションならではですし、ウィットとユーモアのある登場人物たちのおかげで必要以上に深刻にならず、希望が持てるところがこの小説の魅力でしょう。

お勧め度:★★★★☆

2011年1月 6日 (木)

聖女の遺骨求む ~ 「修道士カドフェル」シリーズ 1 (エリス・ピーターズ)

12世紀のイングランド、シュルーズベリ大修道院のカドフェルは十字軍に参加した船乗りだったという、人生経験豊かな異色修道士。修道院の権威を高めようと聖人の遺骨探しを始めた副院長ロバートは、ちいさな村の墓地に残された聖女ウィニフレッドの遺骨を引き取るべくウェールズに向かいます。しかし、それに反対する地主リシャートが殺されてしまいます。『修道士カドフェル』シリーズ第1弾。

初めて読むタイプの小説だったので、最初は戸惑いましたが、それぞれの人物の思惑が明らかだったり、逆に胡散臭く伏せられていたりと、次第に興味を引かれてのめり込んでいきました。解説によるとこういうのを「時代ミステリー」というそうです。日本でいえば時代小説でしょう。

半分ほど読み進んだあたりで殺人事件が起き、そこからカドフェルの犯人探しが始まります。被害者の娘シオネッドと協力して、手がかりを得るために罠を仕掛けていきます。「一体だれが犯人だろう?」と考えながら読むのが楽しい。最後にカドフェルにとっても予想外の事態に陥ってしまい、どう収拾をつけるのかと思ったら…。

カドフェルというのは神をも恐れぬ、とんでもない修道士です。だけど憎めない。知らぬが華、言わぬが華で丸く収めてしまう。教会の権威なんかよりも、人々の信仰に篤いというのは、本来あるべき修道士の姿なのかもしれません。

予想外に面白かった「修道士カドフェル」なのですが、ミステリーは嫌いじゃないものの殺人事件はいくらフィクションとはいえ好きになれません。2巻のタイトルは「死体が多すぎる」。94体のはずが95体あるのが多すぎるって…戦争でも始めるんですか! 教会では死体がちっとも珍しくないのが問題?

お勧め度:★★★☆☆

2011年1月 4日 (火)

永遠の0 (百田 尚樹)

ニュージーランド最大の都市オークランドのドメイン広場に建つ「オークランド博物館」。イギリスの戦闘機スピットファイアと向かい合うように、その零戦は展示されていました。不時着した機体を修復したようですが、太平洋戦争中にこんなに遠く、はるか南まで飛んできたのか。搭乗員はどうなったんだろう。特別展示されていたミイラよりも生々しく「ゼロ」は狭い展示室に標本のように留め置かれていました。

開戦当時、抜きん出た旋回性能と戦闘力を誇った零戦。終戦から60年目の夏、宮部健太郎は姉・慶子の依頼をきっかけに、零戦乗りとして死んだ祖父の生涯を調べ始めます。いくつかの戦友会に調査を依頼し、宮部久蔵を知る人物を訪ね歩いて浮かび上がってきた祖父像は、一流の操縦技術を持ちながら、公然と「死にたくない」という臆病者、というものでした。「生きて帰りたい」と願い続けていたのに、なぜ終戦直前に特攻で命を落としたのか。

真珠湾に始まり、ラバウル、ガタルカナルと転戦し、沖縄戦で散った祖父は特攻出撃直前、旧式の零戦と交換してもらったのです。本の紙数も残り少なくなってきて「一体どういう結末になるんだろう」と訝しく思っていたら、意外な展開が待っていました。エピローグは壮絶ですが、最後に救われた気がします。

物事はその人の立場や考え方によって評価は異なります。健太郎の姉の恋人で、新聞社に勤める高田に一部の世論を代弁させています。特攻は9.11の旅客機テロと同じだというのです。しかし特攻予備員だった人物は、特攻は日本を攻撃し国民を殺す敵艦に対抗する戦争であり、テロのように罪のない一般市民を無差別に殺傷するものではないと主張します。どちらの行為も決して容認できない、忌むべきものですが、わたしは、それらを実行した人物よりも、実行を指示、鼓舞した人物(組織)を憎みます。

「神様のカルテ」同様、人が死ぬ話はいけません。泣けてきます。ひとりの戦闘機乗りが体験した太平洋戦争を知るという意味でも面白い小説なので息子たちにも読ませたいと思います。

お勧め度:★★★★★

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2011年1月 2日 (日)

神様のカルテ (夏川 草介)

 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石が好きで、言葉遣いが明治を通り越して江戸時代の人間みたい(奥さんが「細君」だったり)で、病院でも変人扱いの内科医5年目の栗原一止が主人公。信州の民間病院は医師不足のために3日間ほとんど眠ることもできないほどの忙殺ぶり。過労で倒れても不思議じゃない状態で頭痛がひどい。

「ちなみに脳外科の教科書によると脳には痛覚神経はないらしい。だから仮に麻酔なしに脳みそをぐちゃぐちゃにスプーンでかきまわしても、人は痛みを感じない。もちろん実際に試した人はいないし、試してから「痛いですか?」と聞いて返事ができたら、それは人間ではない。」

面白い先生です。冒頭から内容に比して堅苦しい文体に構えてしまっていたのですが、ここで肩の力が抜けて最後まで一気に読んでしまいました。

私事になりますが、学生時代、大学病院の担当医から父の余命を知らされたとき「大学の先生だと偉そうにしていても結局父を救ってはくれなかった」と内心恨んだものでしたが、患者を看取るのが日常の医師にも苦悩があるのだろうと今は思います。終末医療のあり方も問題提起していて、わたしだったら治る見込みがなく、意識が戻らないのであれば延命治療は望みません。「名前を呼んでも二度と返事をしない」のが人の死だと思うからです。

本の帯には「神の手を持つ医者はいなくても、この病院では奇蹟が起きる」とあります。べつに奇蹟は起きませんが、いわゆる「ゴッドハンド」ものでないことは確かです。ひとりの医者が厳しい労働環境にありながらも患者と真摯に向き合う様を描いた小説です。泣けますから、電車や学校、待合室などでは読まないこと。ひとりの部屋で読みましょう。 (「神様のカルテ2」も読みたい!)

お勧め度:★★★★★

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